いつもよりネオンがきれいに輝いている。
冬の空気は、ほかの季節よりも、少しだけ澄む。
「だから夜景が美しく見えるんだ」と、誰かが言っていたのを思い出していた。
駅のホームに降り、改札に向かって歩き出していると、女子高生たちがにぎやかな声をあげながらすれ違っていく。
色白の顔からこぼれる笑顔を見て、
「ああ、この娘たちにも、家族があるんだなぁ」と何となく思う。
いまこの世に生きていて、そして家族がある。
このあたりまえの幸せを、わたしも含めて、たくさんの人が気づいていないのかもしれない。いや、きっと忘れている。
これから会う家族は、カメラに向かって、とてもおだやかに笑える家族。
家族がともにいる一瞬一瞬を、何よりも大切に思っている家族。
命の大切さを、誰よりもその心に刻み込んでいる家族…。
いつになく、緊張していた。
清水さんの自宅は、東京都内の静かな住宅街にある。
体にしみるような寒さが押し寄せてくる中、こみ入った路地を歩き迷って、やっと清水さん宅にたどり着く。
辺りはすっかり暗くなっている。オレンジ色の門灯にポッカリ照らされた玄関が、なにかあたたかいもののように見えた。
「こんばんわ」。
ドアを開けると、たくさんの顔が、わたしたち取材の一行を迎えてくれた。
お父さん、お母さんと、そして3人の子供たち。
子供たちは夜半の訪問者に、少し興奮していた。
「寒いところをご苦労さまです。お上がり下さい」。
やさしい夫妻の声が、わたしたちをいやしてくれる。
夜気で冷たくなった靴を脱ぎながら、玄関のポーチから家の中を見渡す。
リビングのような場所からは、大きなクリスマスツリーの光がもれ、子供たちの遊具のようなものも窓越しに見える。
子供たちのはしゃいだような声と、それをたしなめるお父さん、お母さんの声。
しあわせの風景というものがあるなら、きっとこんな感じなのだろう。
素敵な家族の、素敵なおうち、というのが、清水家の第一印象だった。
暖房のきいたリビングに通されると、子供たちが照れくさそうに、好奇心たっぷりの視線をわたしたちに送っていた。
夜分に訪ねてきたことを詫び、お子さんたちはもう寝る時間では?と聞くと、お母さんが「うちの子たちは、みんな寝るのが遅いんですよ」と困ったようにほほえんだ。
両親の体にまとわりつきながら、ソファの上を飛び跳ねる小さな男の子が二人、そして、凛とした面持ちのお姉ちゃん。
幸せのにおいに包まれた家族だった。
でも、その幸せは、決して平穏無事な暮らしの上に築かれているんじゃない。
そのことを、このあとわたしは、しみじみと感じることになる。
清水さん夫婦には、五人の子供たちがいる。上から順番に、
長女の「りょうちゃん」十歳。
次女の「さっちゃん」八歳。
長男の「とおるくん」六歳。
次男の「さとるくん」二歳。
そしてもうひとり、翌年の春に生まれてくる命が、お母さんのおなかで、すくすくと育っている。
この日、リビングに集っていたのは、りょうちゃん、とおるくん、さとるくんの三人。
「さっちゃんはどこにいるんですか?」という質問に、
お母さんは部屋の向こう側を指さして、こう答えた。
「いまは、あちらの和室にいますよ」。
清水さんは十年前から、年に一回、必ず写真館で家族写真を撮っている。
それを一冊の重厚なアルバムにまとめて、大切に保管している。
清水さん夫婦は、ともに医師と看護士という、医療関係者。
職場で知り合い、そして、結婚した。
勤務医を経て、夫は父親の病院を受け継ぎ、クリニックを開業。
すぐそばに、一家の住まいを構えた。
それまでに何度か引っ越しをしたが、写真館に出向いての家族写真だけは、結婚当初から毎年欠かすことなく続けている。
一年、そしてまた一年と、一枚ずつ積み上げてきた、十年分の家族写真。
写真を撮る日は、夫婦の結婚記念日である三月十二日の前後、と決めている。
「年に一回は、家族の姿をきちんとした写真に残したいな」。
そんなお母さんの思いが、写真館に足を運ばせている。
スナップアルバムと、家族写真アルバム
もともと写真を撮るのが好きなお母さんは、子供たち一人ひとりに、スナップアルバムを作っている。
写真といっしょに、旅行に出かけたときのチケットや、観光地のパンフレットなども貼った、いわば「思い出の記録帳」だ。
お母さんは、いつか子供たちが巣立っていくとき、このアルバムを持たせるのだという。
「わたしの実家は北海道で、二人姉妹だったんです。こっちへ出てくるとき、ほんとはアルバムを持って来たかったんですけど、アルバムは一家に一冊しかなかった。結局、持っては来れなかったんです。それがイヤだったんですね」。
兄弟が増えるにつれ、スナップ写真は増えに増え続け、いまでは整理が追いつかないほど大量になった。アルバムに貼り切れていない写真も多数。
「ちゃんと整理しなきゃね」。お母さんは笑う。
思い出の記録帳は、長女のりょうちゃんに至っては、もう十冊近くにもなっている。
お父さんの横で目をくりくりさせ、わたしたちと両親の会話を聞いていたりょうちゃんが、二階の本棚から、自慢げにアルバムを持ってきてくれた。
そのうちの何冊かを、ひも解いてみた。すると、そこに眠っていた宝石のような思い出たちが、写真から飛び出してくるように、雄弁に語り始めた。
小さなりょうちゃんが、生まれたばかりの兄弟と写っている写真、お父さんとアップで写っている写真、家族旅行で訪れた風景の写真…。
アルバムをめくるたび、「あ、これはあのときの写真!」と、誰かが声をあげる。まるでその時間に逆戻りしたように、記憶はよみがえる。
清水さん一家にとっても、久しぶりに開くアルバムだったようで、両親も子供たちも、写真を見て目尻を下げている。
夜のリビングは、家族の笑い声や歓声で華やいでいった。
だが、これほど家族の思い出がぎっしり詰まったスナップアルバムも、写真館に出かけて撮る写真とは、また別のものなのだと、夫婦は話す。
どうやら、込められている思いが、少し違うようなのだ。
「スナップアルバムは持たせるけど、こっちの家族写真アルバムは、わたしたち夫婦がずっと持っているもの。子供たちには持たせないんです」。
お母さんはそう言って、愛おしそうに重厚なアルバムを見つめた。
写真館に行って、プロ用のカメラの前に立って、家族そろって撮った写真たち。
わたしたちは、アルバムの濃い茶表紙に手をかけ、一枚ずつページをめくっていった。
まず最初のページ。
お父さんとお母さんの結婚写真。
次のページには、おなかの大きいお母さんと、将来のパパが写った写真。
ときおり子供たちが「おばさんっぽくなっちゃったね」と母親をひやかす。
次の年。赤ん坊のりょうちゃんが加わっている。
ページをめくると、また一人、家族が増えている。
見ていくにつれ、子供たちが増えていく様子がよく分かる。二人っきりの夫婦から、ひとつのファミリーができあがっていくプロセスが、そこに写し出されていた。
しかし、何ページ目かに差しかかったとき、明らかな異変に気づく。
いるはずの家族が、一人いないのだ。
そこに写っていなければならない、子どもの一人が。
「さっちゃん」だった。
二人目の子、さっちゃん
りょうちゃんの妹、さっちゃん。清水家の第二子だ。
妊娠中は何の異常もなかったのに、さっちゃんは、予定日より一ヶ月も早く生まれてきた。「おかしいな」。お母さんはそう思ったという。
生まれた直後から、人工呼吸器をつけ、集中治療室へ。
ほどなく、心臓に先天性の欠陥があることが判明した。
医師からはすぐ、「ダメだろう」と宣告されたという。
「三歳までしか、生きられない」。
幼いさっちゃんは、検査や手術のために、入退院を繰り返すことになるが、それでも治療のかいあって、やがて人工呼吸器もはずれ、自分の口からミルクを飲むこともできるようになった。
「ほんとに、入院したり退院したりの繰り返しだったけど、けっこう順調に育ってたんですよ。だから、どこへでも連れて歩いてましたね」。
ほかの兄弟たちと同じく、もちろんさっちゃんにも、彼女だけのスナップアルバムが作られている。
半分近くは、病院にいるときの写真。
白衣を着たお父さんに抱かれたさっちゃん、体に管をつけた様子の写真。
写真とともに、病院の看護士が、入院中のさっちゃんの様子を記した小さな手紙も貼られていた。
「…さっちゃんの病気が分かって、パパとママは、決断をしなければならなくなりました…」。
そのやさしい文字は、家族の、とりわけ、お父さんとお母さんの心のうちを、静かに代弁していたのかもしれない。
余命を宣告されたが、写真のさっちゃんは、とても元気そうだった。
普通の子のように、外を飛び回って遊べる体ではなかったが、清水さんは、時間を見つけては、伊豆や、お母さんの実家がある北海道に旅した。
「ほんとは、長期の旅行なんかしちゃいけなかったんだけど、ぼくは医者だし、妻は看護士。病院関係者が二人もついているんだから、何とかなるだろうって。そんな感じでしたよ」。
そう、お父さんは笑う。
北海道の美しい景色とともに写した、スナップ。
空、花、緑の色が、都会のそれとは全然違う。
思わず「きれい」と声を挙げると、
「わたしの実家の近くは、どこもこんな感じですよ」と、お母さんが誇らしげに言う。
大自然の中で笑う、家族の顔。夏には、実家の庭にプールを出し、そこでさっちゃんが水遊びをしたこともある。みんないい顔をしているのが、とても印象的だ。
体つきも小さく、身体に障害があることは、その外見からも分かったが、家族といっしょにいるさっちゃんは、とても幸せそうだった。
大きな試練
さっちゃんには、心臓に欠陥があると分かったときから、ある試練が待ち構えていた。
一歳を過ぎたら、大きな手術に望む予定だった。
できるだけ人生を長く生きるため、心臓を手術する必要があったからだ。
しかし、生後間もないころは、その手術に耐えるだけの体力がない。だから、ある程度成長し、体ができてくるのを、担当医師は待っていた。
「いまの状態なら、手術に耐えられるでしょう」。
さっちゃんが二歳の冬。
あと数日で師走をむかえるという時期、医師は、手術にゴーサインを出した。
手術の前、お母さんは、さっちゃんのスナップ写真を撮っている。
カメラに向かって笑うさっちゃんが、彼女のアルバムの中にいた。
この手術が終われば、元気になれる。
これが最後の手術。
「健康になって、帰ってくるんだ」。
期待と不安を抱えた両親に、さっちゃんは、めいっぱい笑いかけているようだった。
手術、がんばってくるね。行ってきますー
そう語りかけるように。
「これが最後でした」。
手術も無事終わり、容態も安定したと思った、その矢先だった。
病院から自宅へと、一時帰宅する帰路についていたお母さんの電話に、「容態急変」の一報。術後の合併症が原因だった。
手術からわずか2日後のことだった。
あわてて病院へ引き返したが、さっちゃんの呼吸は、そう長くは続かなかった。あまりにも急に訪れた、わが子との別れ。
闘病の末、静かに息を引き取ったのとは違い、治ると信じていたときの、突然の死だった。
心の準備など、少しもできてはいなかった。
あの「行ってきます」と手を振ったさっちゃんの写真から、次のページへと手を伸ばす。
スナップアルバムのラストページが、唐突に現れた。
最後の写真。
色とりどりの花で埋まった小さな棺の中に、さっちゃんは、ひっそりと眠っていた。
家族の異変を感じとった、あの一枚の家族写真。
前のページには、お母さんとりょうちゃん、お父さんに抱っこされたさっちゃんが、確かに家族写真におさまっていた。
なのに次のページでは、そこいるはずのさっちゃんが、遺影写真となって、父の腕に抱かれていた。
親と、子と、一枚の遺影写真が写った、家族の写真。
子供たちのいる生活がスタートして間もなく、夫婦は、大切な命をひとつ、天国へと見送った。
新しい家族
実は、さっちゃんがいなくなる少し前、清水家には、長男のとおるくんが生まれていた。
さっちゃんが入退院を繰り返しているとき、お母さんのおなかの中には、とおるくんが宿っていたのだ。
「娘が大変なときに、次の子供なんて、って思われるかもしれませんが。でも、さっちゃんを支える兄弟たちを、増やしておきたかったんです」。
順序どおりにいけば、親は、子供よりも先に逝ってしまう。
そうなったとき、病を抱えるさっちゃんに寄り添ってくれるのは、兄弟。自分たちがいなくなっても、支え合って生きていく兄弟を、一人でも多く残そう。
清水さん夫婦は、そう考えたのだ。
だが、支えるべき姉は、両親より先に、旅立ってしまった。
幼い弟たちには、現実のさっちゃんについての記憶はない。
だが、自分たちに、もうひとり姉がいた、ということは、何となく分かっている。
「あちらの和室には仏壇があって、そこにさっちゃんの写真が飾ってあります。以前、弟たちはよく、写真に向かって手を合わせていました。だから、さっちゃんのことは知っています」。
弟たちにも、さっちゃんの存在を記憶していてほしい。
お母さんの願いは、小さな兄弟たちにも届いている。
年一回の家族写真に、弟たちが写り始め、ふたたび一家はにぎやかになっていった。
さっちゃんの遺影は、大きな額入りにものから、小さな額に入ったものへと変わった。
そして、もっとも新しい家族写真(ページ末参照)。
おそろいのトレーナーを着た、わんぱく盛りの弟たち。お姉さんっぽく成長した、小学生のりょうちゃん。結婚写真と見比べると、すっかり落ち着いてしまった、清水さん夫婦。
そして、家族の真ん中には、かわいい額入りの、さっちゃんの顔写真。
さっちゃんは、その姿をなくしてしまってからもずっと、「肖像」という形で、家族写真に参加している。
りょうちゃんの微笑み
「子供たちは、大人になったら、一人、また一人と抜けていくでしょう。でもそれまでは、いっしょに撮りたい」とお母さんは言う。
お父さんは、
「りょうちゃんは、結婚したらきっと抜けるんだろうな。あれ?もしかして結婚しないのかな?」と、ニヤニヤしている。
そんな両親に、長女のりょうちゃんは「まだいっしょに撮るよ」と当然のように告げる。
そんな先の話をしないでよ、という表情を浮かべながら。
実は、わたしには気になっていたことが、ひとつあった。
それは「りょうちゃん」という存在。
まだ小さい幼い弟たちは、さっちゃんがいなくなる前後のことは、知らない。
しかし一人だけ、自分の兄弟が、突如として遠くへ行ってしまう、という様子を、つぶさに見ていた子がいる。
それが、りょうちゃんだ。
最新の家族写真で、りょうちゃんは、歯に噛んだような、ちょっとはずかしげな笑顔を浮かべている。でも、その複雑な微笑みが、小さな声でこうささやいているような気がした。
「わたしね、この家族のことなら、なんでも知っているよ」と。
思い切って、お母さんに聞いてみることにした。
さっちゃんが亡くなる前後の、りょうちゃんの様子を。
りょうちゃんは、さっちゃんより二年ほど早く生まれた。最初の子として両親を独り占めできたのは、この二年だけ。さっちゃんが生まれ、普通の体ではないと分かったときから、りょうちゃんの生活もまた、妹に合わせたものにならざるを得なかった。
繰り返される入退院。
長期にわたって病院で過ごす娘のために、お母さんはどうしても、付き添い生活を送らなければならなかった。
そんなとき、りょうちゃんは自宅を離れ、父親の姉、つまり伯母のもとに預けられていた。
「だから、りょうちゃんは伯母さんが大好きなんです」。
お母さんが、ちょっぴり寂しそうに話す。
北海道のおばあちゃんが、りょうちゃんの面倒をみていてくれた時期もある。
「あの子が『母親にいてほしい』と思っていたとき、私はそばにいてやれなかったんだと思います。りょうちゃんにもさっちゃんにも、分け隔てなく愛情を注いできたんですけどね」。
母親はもちろん、医者としての仕事がある父親も、帰宅が夜遅くなったりと、りょうちゃんと一緒にいられないことが多かった。
「パパなんか、だいっきらい!」。
そばにいてくれない父親に、こんな言葉を投げつけたこともあるという。
りょうちゃん自身も、それを覚えていた。
「大好きなパパに会いたいのに、いてくれない。だからキライって言ったの」。
何気なく言ったりょうちゃんからは、両親へのわだかまりのようなものは、少しも感じられなかった。
さっちゃんのこと、お父さん、お母さんのこと。
すべてを受け入れてきた少女は、だがさっちゃんが亡くなった日、大きなとまどいをみせたという。
病院で息を引き取ったさっちゃんが、棺に入って自宅へ帰ってきたとき、両親はその棺を、リビングに安置した。
「ところがりょうちゃんは、その部屋に入ってくることができなかったんです。父親に抱っこされて、やっと、さっちゃんの顔を見ることができたほど。何か重大なことが起こったことを、あの子なりに感じとって、体が動かなかったんだと思います」。
突然逝った妹と、その死を悲しむ両親、親族。
幼かったりょうちゃんの目に映った光景は、とても奇異で、衝撃的だったに違いない。
あれからいくつもの季節が過ぎていったが、りょうちゃんは、さっちゃんのことを、いまでも大切な妹としてみている。
さっちゃんのことを覚えてる?と聞くと、りょうちゃんは、小さくうなずいた。
「うん。覚えているよ」。
そう言って、また父親に甘えた。
お母さんはいま、ちょっとだけ気にしていることがある。
りょうちゃんが、大変なお父さんっ子だ、ということ。
取材のあいだ中、りょうちゃんはお父さんの膝に座って、ずっと甘えていた。
傍目に見ていても、お父さんが大好きなんだ、ということが分かった。
そのことをお母さんは、りょうちゃんがお母さんに甘えたいとき、しっかり甘えさせてあげられなかったから、その反動が父親にいったのだ、と思っている。
「さっちゃんのことがあったから、やっぱりどこかでガマンしていたんでしょうね」。
お母さんの話し声が、ふいに小さくなった。
「でも、りょうちゃんの体験してきたことを考えると、仕方ないかな」。
家族写真の中で見せた、りょうちゃんの、ちょっと照れたような、あの微笑み。
彼女は、ひとつの命をめぐる家族の喜怒哀楽を、間近に見てきた。
無意識に、自分のわがままを胸の奥にしまってきた。
だけどりょうちゃんは、「写真を撮られるのは、好きでもキライでもない」と言いながら、毎年欠かさず、家族写真の撮影に参加している。
「ほんとはね。わたし、りょうちゃんとは友達みたいな親子になりたいんです。よくあるでしょう。母と娘で、すごく仲のいい親子。あんな姿に、すごく憧れているんですよ」。
お母さんの、ささやかな願いだ。
いつかフレームから消える日がきても
いま、お母さんは、こう思っている。
そろそろ、年一回の家族写真に、さっちゃんの写真を入れなくてもいいかな、と。
「亡くなった当初は、家族写真を撮るとき、絶対にさっちゃんの遺影もいっしょに入れる、と心に決めていたんです。でもいまは、少し違う心境になっています」。
たとえ写真に収まらなくても、さっちゃんの魂は、いつも心の中にある。
目には見えなくても、確かにさっちゃんは、家族の中に生きている。
そんな気持ちがわいてきたのは、ここ1、二年のことだという。
さっちゃんが天国に行って七年。
「家族旅行に行くのにも、さっちゃんの写真を持って行ってたんですけど、でも、もういいかな。以前は、写真とかお骨とか、そういったモノにこだわっていたけど、もうモノにはこだわりません。気持ちの中に、さっちゃんの居場所がちゃんとありますから」。
ところが、そう話すお母さんの横で、りょうちゃんは、べそをかいていた。
「ぜったいダメ。(さっちゃんを)家族写真に入れないなんて、ダメ!」。
怒ったように、つぶやいた。
人は、悲しみを乗り越えていくとき、亡くなった人の遺品や思い出の品に、だんだんこだわらなくなる、という。
モノが傍らになくても、亡き人はいつも自分のそばにいる、という実感を持つからだという。
もしも、さっちゃんの写真が家族写真に入らなくなったとしても、これからも一年に一度、結婚記念日には、家族の肖像を撮り続けていく、と清水夫妻は語ってくれた。
「スナップアルバムは子供たちのものだけど、この家族写真アルバムは、わが家の家宝。見ていると、あたたかい気持ちになれるんです。ずっとずっと、大切にとっておこうと思います」。
春には、新しい命が生まれ、家族写真に加わる。
とおるくんも小学生になる。
りょうちゃんも弟たちも、これからどんどん大人になっていく。
そしてもし、さっちゃんの写真が家族写真に参加しなくなったとき、りょうちゃんの心は、どう動くのだろうか。
そのストーリーはきっと、これからも撮り続けられていく家族写真の中で、語られていくことだろう。
りょうちゃん、さっちゃん、とおるくん、さとるくん、そしてこれから生まれてくる新しい兄弟。
これから、一家にどんな物語が用意されているのかは、未来の家族写真だけが知っている。
でも、この五人が、いつまでも兄弟であることに、何ら変わりはない。
いなくなっても、五人兄弟。
その姿は見えなくても、いつでも「五人」なのだ。
取材の終わり、クリスマスツリーを背に、清水さん一家の写真を記念撮影した。
さっちゃんの姿も、写真も、そこにはない。
でも、ちゃんといるのだ。
二歳七ヶ月の人生を閉じた小さな兄弟は、短くも楽しい時間をいっしょに過ごした姉、そして、顔を見ることがかなわなかった弟たちのそばに、いまも寄り添っているに違いないと、思った。
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毎年、結婚記念日の頃に、家族の「その瞬間」を撮り始め、もう十回目の春です。
我が家の家族写真には、天国に行ってしまった娘も一緒に写ります。
娘が家族だったことを、小さな兄弟にも覚えていてほしい気持ちが、
そうさせているのかも しれません。
どの子供たちも、私たちの大切なかけがえのない家族です。
それぞれのその時を、優しく切り取って特別な箱に入れ、
ときどき静かに開き、ゆったりと した時間を過ごす。
スナップ写真のアルバムとはひと味違う、贅沢な楽しみです。
東京都・清水
写真撮影・ウスダフォトスタジオ
文…高野朋美
【●ある家族の物語の最新記事】


